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「働き方改革」の一歩先へ!高知で「生き方改革」してみませんか?【株式会社オートクチュール】

株式会社オートクチュールは2011年に設立された、ゲームアプリの開発や広告プランニングなどを行う会社です。国内に7つの拠点があり、その一つに2021年に開設した高知オフィスがあります。
 
今回は、2024年4月から高知オフィスで働く橋本卓郎(はしもと たくろう)さんにインタビューさせていただきました。県外の大学に進学して、その後の社会人生活も東京で過ごしていた橋本さんの高知にUターンした“きっかけ”や現在のリアルな高知暮らしをお聞きしました。


何者でもなかった18歳。社会の荒波に揉まれながら、都会に順応し価値観が固まっていく

橋本さんは高知市内の高校を卒業後、特に目標や、やりたい仕事もないまま神戸にある大学へ進学します。大学ではデザインやアートを学びますが、就職活動ではそういった分野の求人数はそもそも少なかったため、好きだった映像制作に範囲を広げて行いました。
そうして就職したのが、東京にある映像制作会社でした。
 
橋本さん:親に薦められて高知の企業も1社受けましたが、実際は高知に戻ってくるという選択肢は持っていませんでした。上京し、就職した会社ではADから撮影まで行い、毎日忙しく過ごしていました。家には月に1回帰れるかどうかという生活で、荷解きを完全に終えたのは、上京してから1年後でした。
 
とにかく忙しく、過酷な労働環境の中で仕事をしていた橋本さんですが、あるとき「この会社にいたままでは、成長できないのでは?」という思いが芽生えます。「何のために東京に出てきて、生活しているのか?」と考え始め、その結果入社3年目にして初めての転職を行います。
 
橋本さん:高知に帰るという考えも頭をよぎりましたが、まだまだ東京でやりたい仕事がありました。次に就職したのは、東京でファッションショーを主軸に広告代理店業務も行う会社で、そこでデザイナーとして仕事を始めました。この頃の私はノリノリで、いわゆる“軽いノリ”の人間でした。結婚したのもこの頃です。周りにお見合いをしたことのある人がいないからという理由でお見合いをし、初めて出会った女性にその日のうちに「僕と結婚しますか?」と問いかけました。そして、驚くことにその女性が「はい」と答えてくれたのです。「うわ!この人、超ロックだ!」と思い、その女性と結婚することを決めました。
 
その後、29歳の時に2度目の転職を行い、大手ゲーム会社へ就職しました。順調にキャリアアップしていき、また2人の子どもにも恵まれて、公私ともに東京での生活は順調そのもの。このまま、人生を歩んでいくものと考えていました。

「生き方改革」妻の言い間違いで、価値観が大きく揺さぶられる

この頃、橋本さんが高知へ帰省していたのは年一回程度でした。年末年始などの休みを利用して帰るものの、やりたいことや行きたいところも特にないというのが正直なところで、実家で時間を過ごしたらすぐまた東京へ帰っていたと言います。
 
東京では、通勤に片道1時間半ほどかかっていたため、往復では通勤に3時間かける生活。帰宅時間は遅く、終電で帰ってくることも多かったため、平日に家で子どもたちと過ごす時間はほとんどありませんでした。
 
橋本さん:東京で働き、暮らすことはそういうこと。これが普通の生活と思っていました。そんな時、妻とテレビを見ていると「働き方改革」に関するニュースが流れてきました。そのニュースを見ながらなんとなく会話していると、妻が「働き方改革」を「生き方改革」と言い間違えました。その言い間違いに、雷に打たれたような衝撃を受けました。働き方じゃなくて、生き方から変えるんだ。これまで東京で凝り固まってしまっていた価値観がひっくり返るような感覚でした。
 
生き方を根本から変えてしまおうと心に決めた橋本さん。まず決意したのが、高知へのUターンでした。2023年10月、家族4人で高知に移住することを決意し、3ヶ月後の2024年1月には引っ越していました。
猛スピードで移住を決めた橋本さんですが、この決定には家族も大賛成だったと言います。
 
橋本さん:高知で転職先を探す際に最初に懸念したのは給料面でした。妻に相談したところ、「心配いらない!!」と即答。ロックな精神を持つ妻に、大事な局面でも背中を押してもらいました。

高知県への進出企業が増えたことで、IT系の求人が増える

移住すると決めてから、高知での仕事探しにすぐに取り掛かった橋本さん。「高知 求人」と検索して見つけたのが、「高知家のIT」という高知県商工労働部が運営するサイトでした(※2024年3月末でサービス終了)。そこでIT関係の求人を見ていく中で、新着として掲載されていたのが「株式会社オートクチュール」の求人情報でした。
 
橋本さん:これまで培ってきたデザインやディレクター業務の経験を活かせると、即応募。愛媛県松山オフィスでの研修期間を経て、2024年4月から高知オフィスで本採用となりました。全国7ヵ所のオフィスにいる同僚とともに、ディレクターとしてゲームや広告クリエイティブを作り上げています。
 
そして、高知への移住とともに家族との時間にも変化がありました。片道1時間半かかっていた通勤時間が、自転車で15分に激減。それに伴い、家族で一緒に食べる朝食やニュースを見ながらのコーヒータイム、会話する時間も増えました。日付を跨いでしまっていた帰宅時間は、一緒に夕食が食べられるほどに早まりました。長い時間で培われたワーカホリックの癖が抜けず気を抜くと仕事に没頭してしまい、ついつい帰宅時間が遅くなってしまうそうですが、それでも劇的な変化です。
 
橋本さん:高知に引っ越してから、子どもたちの表情が明るくなりました。次女はすでに土佐弁を使いこなしていて、高知出身のはずの私の方が土佐弁をうまく話せません(笑)。
 
仕事については、県外からの発注が多くを占める業務の中で、今後は高知県内の仕事も増やしていきたいと言います。
 
橋本さん:高知オフィスに勤めているので、高知に貢献できる仕事をしていきたいという思いがあります。そのためには、まず弊社のことを知ってもらうこと。高知県にこんな会社があるんだということを知ってもらうために、いろいろな場所に顔を出して自分たちの活動を広めていきたいです。
 
プライベートの充実が、仕事の活力へとつながっている橋本さん。東京での仕事から大きく業種転換をすることなく、転職できたことが高知での暮らしの充実に繋がっています。

まとめ

今回は、株式会社オートクチュールの橋本さんにお話を伺いました。
東京での仕事を中心とした暮らしから、家族と過ごす時間が増えた現在の高知での暮らし。何ものにも代えられない家族と過ごす尊い時間の積み重ね。言葉の端々から、充実した毎日を送っていることが伝わってきました。